2005-06-20
作家の、半藤一利氏は、「ソ連が満州に侵攻した夏(1997.7 文芸春秋)」のなかで、次のように書いています。
ソ連の侵攻にたいして、いまなお多くの人は中立条約侵犯を厳しく告発する。本文中にその点については明確にしておいた。が、書きづらいことながら、昭和十六年夏「関特演」作戦計画の実施か否かが真剣に論議されたとき、陸軍中央も外務省もほとんど日ソ中立条約を考慮にいれていない。当時の軍や外交のトップは政治や外交は本質的に揺れ動くものであり、約束が紙くず同然になることは百も承知していた。それが世界政治の現実なのである。その非をソ連にだけ負わせるわけにはいかないのである。
紀元前一五〇〇年から紀元一八六〇年までのあいだに、八千四百の条約が結ばれたが、その寿命の平均は二年であった、という(ジャン・バコン『戦争症候群』竹内書店新社)。この調査以後の百年、平均寿命はもっと短いかもしれない。不戦の誓いは脆いのである。
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