尖閣問題
2012-09-13


朝日新聞の社説には、尖閣問題について、次のように書かれている。

 もう一つ気がかりなことがある。日本は1895年、尖閣諸島がどの国にも属していないことを確認し、領土に編入した。これについて、中国外務省が声明で、日清戦争の混乱の中で「不法に盗み取った」などと、日本の中国侵略の歴史と結びつけて説明していることだ。
 
 朝日新聞は、『日本は尖閣諸島がどの国にも属していないことを確認』としているが、具体的にどのようにして確認したのだろう。尖閣に、日本が国境標柱を立てたのには、次のような経緯があった。

 日本は、尖閣を領土にしたとき、山県有朋が国境標柱を立てることを主張した。しかし、井上馨の意見は、尖閣は台湾に近く清国が独自の名前も付けているので、今、国境標柱を立てたならば、清国の疑惑を招くので、国境標柱を立てたり開発に着手するのは、後日にすべしとのことだった。山県も井上の意見を取り入れ、国境標柱設置は見送られた。
 日清戦争に勝利すると、台湾が日本領になったので、尖閣に国境標柱を立てる必要もなくなり、そのまま放置された。カイロ宣言では、日本は台湾を中国から盗取したとされている。
 戦後、沖縄が米軍に占領され、台湾が独立しても、従来通り、台湾漁民が尖閣に出漁し、時々島に上陸していた。この時期は、日本政府も、琉球政府も、台湾に抗議するようなことはなかった。ところが、尖閣周辺に石油埋蔵があると報じられ、暫くすると(相変わらず遅い)、日本でも尖閣が話題になる。そして、1969年5月に、石垣市が国境標柱を立てた。
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