トムラウシ遭難考−戸田新介氏
2009-08-18


体が弱くて、そういった作業が出来ない人もいるかもしれません。でも、寒いのが分っているならば、なぜ、余分に服を着ないのでしょう。雨が降っていて雨具を脱ぐのが嫌だった可能性が有ります。でも、数人の人がいるんですよ。ビニールシートか何かで、雨をよけるようにすれば、余分に着ることは十分に可能だったはずです。風が強くてシートが広げられないならば、人が並んで風除けになるなど、何か出来たはずです。他人のためには指一本動かさないとの信念の人が、固まっていたのでしょうか? それより何より、じっとしていて寒いのならば、ラジオ体操でもして、体を動かせばよいのに。

 登山とは、山を歩くものだけれど、昼食のときは停滞するし、その他、休憩時に停滞することは当然です。長めの休憩で体が冷えるならば、ウエアーを余分に着ることは、当たり前です。停滞していると体が冷えてどうしようもない状態になっているということは、著しい装備不足で、既に遭難必至の状況です。
 ガイドが登山客を待たせた場所は、滑落・転落・雪崩・落石などの危険性が無い安全な場所です。雨が降っていた・風が吹いていた・気温が低かったなどの理由をあげる人がいるかもしれません。でも、こんなの、田舎のバス停は、どこでも似たような状況です。

 と言うことで、この文章、実際にその現場にいた、赤い血の通った人間が書いたものとはちょっと考え難いように感じます。遭難から無事生還した戸田新介氏とは別人が書いているのではないだろうかと想像しています。

また、戸田新介様の意見では、以下のようにも書かれています。 この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。
 『この文書』とは、アミューズ・トラベルの見解『トムラウシ山の遭難事故の経過について』のことで、旅行会社が事故関係者・遺族に遭難事故の経過を説明したものです。
 かけがいの無い肉親を失った遺族が一番知りたいことは、肉親の死亡状況はどんなものだったかということでしょう。旅行会社はこの点を誠心誠意、遺族に明らかにする責任があります。北沼の2箇所のビバーク地点でなくなった登山客は3人で、この人たちの様子は多田ガイドが見ているので、会社側の説明は多田ガイドの説明に沿っています。下山途中に亡くなった4名については、死亡状況をガイドは見ていません。このため、会社の説明では、登山客の一人である斐品氏の言を引用しているのでしょう。
 下山途中で亡くなった4名の遺族の方々にとって、一番重要な部分は、斐品氏の言であることに、間違い有りません。

   戸田新介様の見解は、『2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう』と、死者の遺族に対する思いやりの微塵のかけらも見えない、自己中心的解釈です。さらに、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』とは、遺族の心の傷に塩を塗りこむかのごとき文章に感じます。戸田新介様の自己中心的利益のためには、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』と考えたのかもしれませんが、もしそうならば、『自分の利益には関係ない』と書けばよいのに。

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