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昨年8月、ウクライナ軍は突如ロシア領クルスクに侵入し、幅50q、深さ20q範囲を占領した。ここは僻地で、戦略的価値に乏しいため、ロシア軍の警備も手薄だった。ウクライナはここを占領した後どうするつもりだったのか不明だが、大方の予想通り、クルスク州派遣ウクライナ軍はじり貧となり、すでに、占領地の7割は奪還されている。ウクライナが占領した地域のうちでスジャは人口6000とそれほど僻地でもない。現在、ウクライナが占領している中で、大きい町はスジャのみ。ここが陥落するとクルスク占領ウクライナ軍は終わりとなる。
昨年12月中旬、ロシア軍はスジャ南側のMakhnovkaからウクライナ軍を追い出した。ここがロシアに落ちると、スジャの維持は大変になるが、ロシア軍はMakhnovkaを維持することなく撤退し、ウクライナ軍が支配するところとなった。
1月5日、クルスク東北部地域で、ウクライナ軍が新たな攻勢を始めたとの報道があった。しかし、この攻勢は二日で終結し、ウクライナの敗北に終わった。攻勢と言っても数個小隊か中隊クラスの軍が突出したもので、プロパガンダ効果以外の実質戦果が得られなくても当然だった。
2月6日、Makhnovkaから南東方向に向けて、ウクライナ軍の進軍があった。今度は、合計二個大隊規模と、それなりの兵力だったため、Cherkasskaya Konopel'ka、Fanaseevkaを占領した。両方とも非常に小さい集落。その東にあるUlanokは他所大きな集落であるが、ここはロシア軍に阻止された。現在、Fanaseevkaにつてはすでにロシア軍に奪回されたとの情報と、いまだにウクライナ軍が保持しているとの情報がある。Cherkasskaya Konopel'kaはいまでも、ウクライナ軍が支配している模様。
ここ数か月、ウクライナ軍は全線で敗北を続けていたが、今回のクルスク南東部は久しぶりにウクライナ軍の小勝利となっている。
しかし、スジャ北西9qのSverdlikovoはロシア軍の攻勢が活発で、ロシア軍はクロニャ川を越えて進軍しているとの情報がある。図の赤丸印の地点は道路の交差点であるが、ここをロシア軍が制圧すると、クルスクウクライナ軍の補給は困難になるが、Sverdlikovoとスジャの間には村はなく、Sverdlikovoが陥落するとウクライナ軍としては交差点の防衛は困難になる。
2月になってから、Pokrovsk方面でも、ウクライナ軍が多少の成果を上げている。これは、ここ数か月無かったことであるが、この原因として、ロシア軍が兵力の交代期にあることと、1月下旬気温が多少高くて、雪が解けて泥濘状態になったため、ロシア軍の機械化部隊が活発でなかったことがあげられる。また、政治の動きと何らかのリンクがある可能性もあるが、今のところ分からない。
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