2010-07-21
前の記事で、本遭難における低体温症の原因は『a)気象条件 b)不十分な着衣 c)登山技術・体力の問題』3つの複合要因と思われると書いた。気象条件以外、詳しいことが分かっていないので、これら3つがどのように関連して、低体温症になったのか、良く分からない。
朝日新聞の記事に、ちょっと気になる記述がある。
生存者の証言では、前日も雨の中を16キロ歩いた一行は、ヒサゴ沼避難小屋で衣服がぬれたまま眠るなど疲れ果てていた。・・・昨年のツアーと同じ2泊3日で四十数キロを縦走するコースをたどる登山…に参加した苫小牧東病院の船木上総・副院長は、…メンバーの体温を定期的に測り、天候がよくても疲れなどで体温が低下することを確認した。(2010年7月17日朝日新聞 …は文章を省略したこと、イタリックは追記を示す)
疲労は低体温症の原因になるようだ。この文章の言わんとすることは、遭難した人たちが疲れ果てたまま登山をして、低体温症になったということだろうか。登山で縦走すれば疲れるのは当たり前で、疲れをとるために休息する。遭難した一行は、ヒサゴ沼避難小屋で宿泊したのだから、翌朝には疲れは取れていなくてはならない。夜寝ても疲れが取れないのだとしたならば、そういう人は、縦走などしてはならないし、どうしても縦走する場合は、あまり疲れないように、一日の行程を短くする必要がある。ツアー登山に参加した高齢者たちは、各日の行動時間をあらかじめ知っていたので、疲れが取れるかどうか、判断できたはずであるのに、漫然と無理なツアー登山に参加したのだろうか。
ところで、『トムラウシ山遭難事故調査報告書』"遭難事故パーティ行動概要" には、救助体制に対する反省点が書かれている。
前トム平下部 7月16日17時21分
ガイドC(38 歳)の反応は朦朧としており、動作ものろのろだった。一生懸命携帯電話の番号を打つが、さっぱりつながらない。それを見た男性客C(65歳)も叱咤しながら下りていった。
7月17日10時44分
前トム平下部のハイマツの中で倒れていたガイドC(38歳)が登山者に発見され、110番通報される。のちヘリで収容されたが、捜索開始から6 時間以上もかかっている。無事下山した参加者から的確、迅速に情報を収集しておれば遭難地点が確定でき、もっと早く収容できたのではなかろうか。
この事故は、遭難場所が分かっていたので、遭難救助は迅速にできたはずなのに、捜索開始から6 時間以上もかかったのは、問題である。幸い、ガイドCは一命を取り留めたが、天候次第では絶命していた恐れもある。下山した男性客C(65歳)らの捜索協力がなされていたら遭難地点の確定が迅速に進んだろうに、残念である。
これまでの山岳遭難の常識からすれば、生還して健康な者が捜索に積極的に協力することは当然だったので、捜索側は情報をあえて収集しなかったのだろう。しかし、動作もノロノロのガイドCの様子を見ているはずの男性客C(65歳)は、なぜ、捜索に積極的に協力しなかったのか!
自力下山した戸田氏(男性客Cと同一人物か?)は次のように説明している。
彼(松本ガイド)は2人が去ってからハイマツ帯にもぐりこみ、翌朝の救援隊を避け最後の行方不明者となり、そのご道の近くに移動して登山客に見つけてもらったのです。救援隊にみつかるのはさけたかったというわけです。じぶんのすいそくですよ。(http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20090806/Survivor)
こんな推測をするようでは、捜索への協力を期待することは難しい。なお、『トムラウシ山遭難事故調査報告書』によると、ガイドCは血液検査の結果、低体温症で危険な状態だったことが判明しており、「救援隊に見つかるのは避けたかった」という戸田氏の推測は誤りであることが医学的に確認されている。
以下、続きを後日書きます
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